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更新日 2022/07/14

このプロジェクト

kimpetrepわたしたちは2020年から2021年にかけて、NPO法人さっぽろ自由学校「遊」を拠点に、2つのオンライン研究会、「カムイチェプ(kamuyから与えられた魚=サケ)・プロジェクト研究会」と「森林の権利とアイヌ民族研究会」への自由参加を呼びかけて、たくさんのアイヌ/非アイヌの市民のみなさんとともに、日本列島北部の先住民族アイヌの権利、とりわけ「先住民族の権利に関する国際連合宣言」25-29条[1]が規定する土地・領域・自然資源・環境に対する権利の復元について、調べたり、意見を出し合ったりしてきました。

そのなかで、わたしたちはふたつの事実を改めて目の当たりにしました。ひとつは、アイヌ民族が歴史的に有してきた、土地・領域・自然資源・環境に対する諸権利を、少なくとも最近150年あまりにわたって、日本国の植民地主義に根ざしたさまざまな政策[2]が不当に妨げ続けていること。

もうひとつは、それと同じ時期に日本国家が始めた大規模な植民・開発政策が、北海道の森や川や海の生態系に大きなインパクトを与えて、本来なら先住民族の諸権利を支えてくれるはずの自然資源の潜在的価値を、著しく低下させてしまったということです。

現代に暮らすわたしたちが——アイヌ/非アイヌを問わず——こうした〝不幸な歴史〟や〝不都合な真実〟に触れるチャンスは、ろくにありません。2019年、アイヌを初めて先住民族と認めたアイヌ施策推進法[3]が生まれ、翌2020年には国立民族共生象徴空間「ウポポイ」が北海道白老町でオープンしたのとうらはらに、アイヌに対する日本国の歴史的不正義を正そうとする運動に社会の関心が向かわないのは、〝不幸な歴史〟〝不都合な真実〟が今なお巧妙に隠されて、なかなかわたしたちの視界に入ってこないせいであるように思えます。

だったら、隠れている歴史や真実をわたしたち自身が探し出せばいい。失ってしまった固有の精神性や知恵や技術、kamuy(カムイ)とのかかわり、そして物語を、もう一度取り返せばいい。そうやって見つけたり取り戻したりしたものを、ぜんぶ目の前に並べて、みんなで共有すればいい——。わたしたちはそんなふうに考えを進めて、それをやり遂げるには、次の3つのステップが必要だと考えるようになりました。

  • ステップ1 日本の現在の政策が認めていない、アイヌの土地・領域・自然資源に対する諸権利を、地域ごとにリスト化する。また、過去150年ほどの間の北海道の自然資源の潜在的価値の変化を測定する。
  • ステップ2 各地のアイヌが、それぞれのiwor(イウォロ)内外のkamuyとどんなふうに向き合い、資源をどんなふうに利用管理してきたか、また森/川/海でどんな物語をつむいできたか、どんな祭礼を営んできたか、そのほかさまざまなエピソードを掘り起こす。
  • ステップ3 そうやって得た情報を分かりやすい形で可視化する。

アイヌ語のKim(山)、Pet(川)、Atuy(海)を並べて「KimPetAtuy計画」と名づけたこのプロジェクトで、わたしたちはこのステップを一段ずつ上っていくつもりです。また、ステップ3で可視化したものを、地元のアイヌはもとより、各地それぞれの利害関係者や住民のみなさんに還元しながら、双方が同じテーブルについて議論して、お互いに理解と関与を深めあい、「歴史的な不正義」を解消する道を一緒に探っていけたら、と願っています。

このプロジェクトの代表を務める上村英明は、〈……先住民族の権利回復運動においては、「先住性(indigenousness / indigeneity)」を明らかにすることが、その権利を語るための本質的問題ではない。地球上に存在するすべての「近代国家」が形成された過程で、実質的な意味で、「植民地化・植民地支配」が存在しなかったかどうか、あるいは、現在もそれが存続していないかという問題を検証することである。〉(『新・先住民族の「近代史」』法律文化社、2015年、p70)と述べています。日本国とアイヌ民族の間には、残念ながら現在もそれ(実質的な植民地支配)が「存続している」と、わたしたちは見ています。

「川で勝手にサケを捕ったら密漁」「森で勝手に木を伐ったら盗伐」と、単に日本の制度が先住民族アイヌの固有の権利を封じているだけではありません。多数派(和人)からの同化圧力とレイシズム(人種差別)が何世代にもわたって人びとを苦しめてきた結果、新しい世代にも「歴史的トラウマ(心理的外傷)」が植えつけられて、いまなおアイヌが〈アイヌとしての自己肯定感を持ちにくい状況〉[4]が続いています。

先住民族としてのアイヌの諸権利を制度的・社会的に保障すると同時に、壊してしまった生態系をできるだけ復元し、また、アイヌ個々人が精神的な誇りや自尊心を持てるようになって初めて、わたしたちは「実質的な植民地支配」や「歴史的不正義」に終止符を打つことができるでしょう。「そんなふうな脱植民地化をぜひ果たしたい」と強く願って、わたしたちはこのプロジェクトに臨んでいます。


[1] 先住民族の権利に関する国際連合宣言(2007年9月採択

第25条 土地や領域、資源との精神的つながり
先住民族は、自らが伝統的に所有もしくはその他の方法で占有または使用してきた土地、領域、水域および沿岸海域、その他の資源との自らの独特な精神的つながりを維持し、強化する権利を有し、これに関する未来の世代に対するその責任を保持する権利を有する。

第26条 土地や領域、資源に対する権利
1 先住民族は、自らが伝統的に所有し、占有し、またはその他の方法で使用し、もしくは取得してきた土地や領域、資源に対する権利を有する。
2 先住民族は、自らが、伝統的な所有権もしくはその他の伝統的な占有または使用により所有し、あるいはその他の方法で取得した土地や領域、資源を所有し、使用し、開発し、管理する権利を有する。
3 国家は、これらの土地と領域、資源に対する法的承認および保護を与える。そのような承認は、関係する先住民族の慣習、伝統、および土地保有制度を十分に尊重してなされる。

第27条 土地や資源、領域に関する権利の承認
国家は、関係する先住民族と連携して、伝統的に所有もしくは他の方法で占有または使用されたものを含む先住民族の土地と領域、資源に関する権利を承認し裁定するために、公平、独立、中立で公開された透明性のある手続きを、先住民族の法律や慣習、および土地保有制度を十分に尊重しつつ設立し、かつ実施する。先住民族はこの手続きに参加する権利を有する。

第28条 土地や領域、資源の回復と補償を受ける権利
1 先住民族は、自らが伝統的に所有し、または占有もしくは使用してきた土地、領域および資源であって、その自由で事前の情報に基づいた合意なくして没収、収奪、占有、使用され、または損害を与えられたものに対して、原状回復を含む手段により、またはそれが可能でなければ正当、公正かつ衡平な補償の手段により救済を受ける権利を有する。
2 関係する民族による自由な別段の合意がなければ、補償は、質、規模および法的地位において同等の土地、領域および資源の形態、または金銭的な賠償、もしくはその他の適切な救済の形をとらなければならない。

第29条 環境に対する権利
1 先住民族は、自らの土地、領域および資源の環境ならびに生産能力の保全および保護に対する権利を有する。国家は、そのような保全および保護のための先住民族のための支援計画を差別なく作成し実行する。
2 国家は、先住民族の土地および領域において彼/女らの自由で事前の情報に基づく合意なしに、有害物質のいかなる貯蔵および廃棄処分が行われないことを確保するための効果的な措置をとる。
3 国家はまた、必要な場合に、そのような物質によって影響を受ける民族によって策定されかつ実施される、先住民族の健康を監視し、維持し、そして回復するための計画が適切に実施されることを確保するための効果的な措置をとる。

[2] 植民地主義に根ざしたさまざまな政策

〈日本政府が、この日露交渉(1855年2月調印の日露和親条約の交渉:引用者注)で得た最大の利益は、むしろアイヌモシリの中核である北海道本島の領有であったということができる。「従属民」であるアイヌ民族の居住地には、日本の固有な主権、領土権が成立するという論理を確立する一方、交渉相手であるロシア政府が、カラフト島と千島列島のみを交渉の対象としたため、北海道本島は、この論理に従ってそのまま日本の固有の領土とされた。アイヌ民族の居住権を利用して、現在の日本の22%にあたる地域を領土とすることに成功したが、北海道の沿岸の一部を除いて日本の実効的占有や実効支配が行われていなかったことは明らかであった。……もちろん、当時の日本政府は、この領土権主張の根拠に弱点を感じており、これを隠すため、あるいは、消滅させるためにさまざまな政策を採用したが、それこそがアイヌ民族政策の根幹をなすものであり、北海道の植民地統治を基礎づけるものとなった。まず、固有の領土権を主張するためには、アイヌ民族の民族性を抹殺する(エスノサイド)ための同化政策、強制欧化政策が必要と考えられた。1855年2月に「日露和親条約」が締結されると、日本政府(江戸幕府)は、ただちに「蝦夷地」をその直轄地とし、日本語や日本の風俗の奨励、仏教の布教などを推し進めた。そして、それまでアイヌ民族に使用していた外国人を意味する「夷人」や「異人」という用語を、もともと日本の領土内で土地の人を表す「土人」に変更し始めた。また、明治政府の下に、1869年7月「開拓使」が設置されると、入墨、耳輪、亡くなった人の家を焼く自家焼却など、アイヌ民族の伝統、週間、文化を禁止する政策(強制同化政策)が1871年からより組織的また徹底的に行われるようになった。アイヌ民族の同化政策に始まった、日本の異民族政策は、その政治機構を支配する間接統治を行わず、個々の家庭生活に至るまで日本の文化様式と日本語を押しつけたが、その契機は、北方地域における領土権の確保と大きく関係していた。〉上村英明『新・先住民族の「近代史」』(法律文化社、2015年)p81-82

[3] アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律

第一条
この法律は、日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族であるアイヌの人々の誇りの源泉であるアイヌの伝統及びアイヌ文化(以下「アイヌの伝統等」という。)が置かれている状況並びに近年における先住民族をめぐる国際情勢に鑑み、アイヌ施策の推進に関し、基本理念、国等の責務、政府による基本方針の策定、民族共生象徴空間構成施設の管理に関する措置、市町村(特別区を含む。以下同じ。)によるアイヌ施策推進地域計画の作成及びその内閣総理大臣による認定、当該認定を受けたアイヌ施策推進地域計画に基づく事業に対する特別の措置、アイヌ政策推進本部の設置等について定めることにより、アイヌの人々が民族としての誇りを持って生活することができ、及びその誇りが尊重される社会の実現を図り、もって全ての国民が相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを目的とする。

[4] 北原モコットゥナシ「歴史的トラウマ概念のアイヌ研究への導入を探る」
『アイヌ・先住民研究 Aynu Teetawanoankur Kanpinuye = Journal of Ainu and Indigenous Studies』第1号、北海道大学アイヌ・先住民研究センター、2021年 http://hdl.handle.net/2115/80884