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更新日 2023/08/04
いろいろ年表
これまでの経緯を順序だててふりかえろうと思ったとき、手元に年表があると、重宝です。ぜひ役立ててください。
北海道の行政区制度のうつりかわり年表
(最終更新 2022/08/18)
行政システムが変更されると、しばしば地名が変わったり消えたりします。日本政府が列島北部の大島に新しく「北海道」と名前をつけて内国化宣言した1869年以降の行政区制度のうつりかわりをまとめた年表です。
明治1(1868)年4月(旧暦) | 箱館裁判所設置、閏4月箱館府と改称。 | |
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明治2(1869)年7月(旧暦) | 開拓使を設置。 | 開拓使時代 |
明治2(1869)年8月(旧暦) | 蝦夷地を北海道と称し、全道を渡島・後志・石狩・日高・天塩・十勝・根室・胆振・釧路・北見及び千島の11国86郡に分割施政する。 | |
明治2(1869)年9月(旧暦) | 箱館に開拓使出張所を設置。 | |
明治2(1869)年10月(旧暦) | 銭函に開拓使仮役所を、根室に開拓使出張所を設置。 | |
明治3(1870)年4月(旧暦) | 開拓使仮役所を小樽に移設。 | |
明治4(1871)年5月(旧暦) | 札幌開拓使庁を設置。 | |
明治4(1871)年6月(旧暦) | 開拓使出張所を出張開拓使庁と改称。 | |
1872(明治5)年4月 | 町村役人制を廃止、戸長役場制度実施。 | |
1872(明治5)年9月 | 札幌開拓使庁を札幌本庁、函館出張開拓使庁及び根室出張開拓使庁をそれぞれ函館支庁及び根室支庁と改称し、宗谷・浦河及び樺太の3支庁を設置。 | |
1873(明治6)年2月 | 宗谷支庁を留萌に移し留萌支庁と改称。 | |
1874(明治7)年5月 | 浦河支庁を廃し、札幌本庁に統合。 | |
1875(明治8)年3月 | 留萌支庁を廃し、札幌本庁に統合。 | |
1875(明治8)年8月 | 樺太と千島の交換により久里留諸島を札幌本庁に管す。 | |
1875(明治8)年11月 | 樺太支庁を廃止。 | |
1876(明治9)年1月 | 千島国に得橅・新知及び占守の3郡を置く。根室支庁の管轄に属す。 | |
1878(明治11)年8月 | 得橅・新知及び占守の3郡を根室支庁の管轄に属す。 | |
1879(明治12)年7月 | 郡区町村編成法により札幌本庁外2支庁下に郡役所(石狩外20郡役所)及び札幌及び函館の2区を設置し、札幌本庁管下は明治13年3月、函館支庁管下は同年1月、根室支庁管下は同年7月それぞれ開庁。 | |
1881(明治14)年7月 | 留萌・天塩・中川・上川・苫前・増毛郡役所を増毛に移し、増毛、留萌、天塩、中川・上川・苫前郡役所と改称。 | |
津軽、福島郡を併せ松前郡とし、津軽・福島郡役所を松前郡役所と改称。 | ||
釧路国網尻郡を北見国網走郡に合併。 | ||
1882(明治15)年2月 | 開拓使を廃し、札幌、函館及び根室の3県を設置、札幌及び函館の2県は3月16日、根室県は4月1日それぞれ開庁。 | |
1883(明治16)年1月 | 農商務省内に北海道事業管理局を設置、3県1局制となる。 | 3県1局時代 |
1884(明治17)年4月 | 石狩・厚田・浜益・上川・樺戸・雨竜・空知・夕張郡役所より空知外4郡を割き、札幌区より札幌郡を割き、札幌・夕張・空知・樺戸・雨竜・上川郡役所を設置。 | |
1885(明治18)年1月 | 花咲郡のうち色丹島を色丹郡とする。 | |
1885(明治18)年5月 | 厚岸・釧路・白糠・足寄・阿寒・川上郡役所より釧路外4郡を割き、釧路・白糠・足寄・阿寒・川上郡役所を設置 | |
1885(明治18)年11月 | 振別・択捉・紗那・蘂取郡役所を紗那に移し紗那・振別・択捉・蘂取郡役所と改称。 | |
1886(明治19)年1月 | 3県1局を廃し、北海道庁を札幌に置き、従来の函館及び根室県をそのまま函館支庁、根室支庁として存置したが、支庁は12月廃止。 | 北海道庁時代 |
1887(明治20)年6月 | 浦賀・三石・様似・幌泉・広尾・当縁・十勝・中川・河西・河東・上川郡役所より広尾外6郡を割き釧路・阿寒・白糠・足寄・川上郡役所に編入。 | |
勇払・白老・沙流・千歳・新冠・静内郡役所より沙流外2郡を割き浦河・三石・様似・幌泉郡役所に編入。 | ||
1888(明治21)年3月 | 茅部・山越郡役所と亀田・上磯郡役所と併せ亀田・上磯・茅部・山越郡役所を七飯に設置。 | |
1888(明治21)年9月 | 宗谷・枝幸・利尻・礼文郡役所を稚内に設置。 | |
1889(明治22)年1月 | 札幌・夕張・空知・樺戸・雨竜・上川郡役所に石狩・厚田・浜益郡役所を併せ同時に勇払・白老・千歳郡役所より千歳郡を編入し、樺戸外2郡及び空知・夕張郡を割き、樺戸・雨竜、上川郡役所及び空知・夕張郡役所を設置。 | |
勇払・白老・千歳郡役所のうち、勇払・白老郡を割き室蘭・虻田・有珠・幌別郡役所に編入。 | ||
小樽・高島・忍路・余市郡役所に古平・美国・積丹郡を合併。釧路・阿寒・白糠・足寄・上川・広尾・当縁・十勝・中川・河西・河東・上川郡役所より川上郡を割き、川上郡役所を設置。 | ||
1891(明治24)年3月 | 釧路・阿寒・白糠・足寄・広尾・当縁・十勝・中川・河西・河東・上川郡役所に厚岸及び川上郡役所を合併。 | |
札幌・石狩・厚田・浜益・千歳郡役所に樺戸・雨竜・上川郡役所と空知・夕張郡役所を合併。檜山・爾志郡役所に久遠・奥尻・太櫓・瀬棚郡役所を合併。 | ||
1896(明治29)年6月 | 札幌・石狩・厚田・浜益・千歳・空知・夕張・樺戸・雨竜・上川郡役所より空知外4郡を割き、空知・夕張・雨竜・樺戸・上川郡役所を設置。 | |
1897(明治30)年7月 | 空知・夕張・雨竜・樺戸・上川郡役所より上川郡を割き、上川郡役所を設置。 | |
釧路・阿寒・白糠・足寄・広尾・当縁・十勝・中川・河西・河東・上川・川上・厚岸郡役所より河西外6郡を割き、河西・河東・上川・中川・十勝・当縁広尾郡役所を設置。 | ||
1897(明治30)年11月 | 従来の郡役所を廃し、札幌外18支庁を設置。 | |
1899(明治32)年5月 | 胆振支庁虻田郡の一部(倶知安村)を岩内支庁に編入。 | |
空知支庁空知郡の一部(富良野村)を上川支庁に編入。 | ||
留萌支庁上川郡(天塩国)を上川支庁に編入。 | ||
1899(明治32)年10月 | 札幌町・函館町及び小樽町に区制施行。 | |
亀田支庁を函館支庁と改称。 | ||
1900(明治33)年7月 | 亀田郡大野村外15町村に1級町村制施行。 | |
1901(明治34)年4月 | 留萌支庁中川郡(天塩国)を上川支庁に編入。 | |
1902(明治35)年4月 | 札幌郡札幌村外61町村に2級町村制施行。 | |
1903(明治36)年12月 | 函館支庁に松前支庁を合併。 | |
根室支庁に紗那支庁を合併。 | ||
1906(明治39)年4月 | 胆振支庁勇払郡の一部(占冠村)を上川支庁に編入。 | |
当縁を広尾郡と十勝郡に分割。 | ||
1910(明治43)年3月 | 胆振支庁虻田郡の一部(東倶知安村・真狩村・狩太村)を後志支庁に編入。 | |
寿都、岩内及び小樽支庁を併せ、倶知安村に後志支庁を設置。 | ||
1914(大正3)年4月 | 旭川町に区制施行。 | |
1914(大正3)年9月 | 増毛支庁を留萌町に移し、留萌支庁と改称。 | |
1918(大正7)年2月 | 室蘭町に区制施行。同時に室蘭郡廃止。 | |
1920(大正9)年7月 | 釧路町に区制施行。 | |
1922(大正11)年8月 | 札幌区・函館区・小樽区・旭川区・室蘭区及び釧路区に市制施行。 | |
札幌支庁を石狩支庁と改称。 | ||
函館支庁を渡島支庁と改称。 | ||
室蘭支庁を胆振支庁と改称。 | ||
釧路支庁を釧路国支庁と改称。 | ||
1923(大正12)年4月 | 振別郡を紗那郡に合併。 | |
戸長役場制度廃止(この当時の市町村数 市6,1級町村99、2級町村155)。 | ||
1932(昭和7)年8月 | 河西支庁を十勝支庁と改称。 | |
浦河支庁を日高支庁と改称。 | ||
1933(昭和8)年4月 | 帯広町に市制施行。 | |
1940(昭和15)年4月 | 高島郡を小樽市に編入。 | |
1940(昭和15)年9月 | 小樽郡を小樽市に編入。 | |
1942(昭和17)年6月 | 野付牛町に市制施行。北見市とする。 | |
1943(昭和18)年4月 | 夕張町及び岩見沢町に市制施行。 | |
1943(昭和18)年6月 | 北海道1、2級町村制廃止、2級町村は指定町村となる(この当時の市町村数 市10、普通町村129、指定町村135)。 | |
1946(昭和21)年10月 | 指定町村廃止。 | |
1947(昭和22)年2月 | 網走町に市制施行。 | |
地方自治法施行、市制町村制廃止(この当時の市町村数 市11、町55、村203)。 | 北海道(地方自治体)時代 | |
1947(昭和22)年10月 | 留萌町に市制施行。 | |
1948(昭和23)年4月 | 苫小牧町に市制施行。 | |
1948(昭和23)年10月 | 釧路国支庁足寄郡を十勝支庁に編入。 | |
留萌支庁天塩郡の一部 (農富村) を宗谷支庁に編入。 | ||
1949(昭和24)年4月 | 稚内町に市制施行。 | |
1950(昭和25)年4月 | 美唄町に市制施行。 | |
1953(昭和28)年4月 | 芦別町に市制施行。 | |
1953(昭和28)年10月 | 町村合併促進法施行(この当時の市町村数 市16、町108、村154)。 | |
1954(昭和29)年7月 | 江別町及び赤平町に市制施行。 | |
紋別町及び士別町は合併によりそれぞれ市制施行。 | ||
1955(昭和30)年1月 | 町村合併により歌棄郡廃止。 | |
1955(昭和30)年4月 | 町村合併により太櫓郡廃止。 | |
1956(昭和31)年4月 | 名寄町に市制施行。 | |
1956(昭和31)年6月 | 新市町村建設促進法施行(この当時の市町村数 市21、町111、村114)。 | |
1956(昭和31)年9月 | 町村合併により美国郡廃止。 | |
町村合併促進法失効(この当時の市町村数 市21、町111、村102)。 | ||
1957(昭和32)年4月 | 三笠町に市制施行。 | |
釧路国支庁を釧路支庁と改称。 | ||
1957(昭和32)年8月 | 根室町は合併により市制施行。同時に根室郡廃止。 | |
1958(昭和33)年4月 | 市村合併により忍路郡廃止。 | |
1958(昭和33)年7月 | 千歳町、滝川町、砂川町、歌志内町に市制施行。 | |
1959(昭和34)年4月 | 市村合併により花咲郡廃止。 | |
1963(昭和38)年5月 | 深川町、一巳村、音江村及び納内村は合併により市制施行。 | |
1965(昭和40)年3月 | 市町村の合併の特例に関する法律施行(この当時の市町村数 市28、町150、村42)。 | |
1966(昭和41)年5月 | 富良野町及び山部町は合併により市制施行。 | |
1970(昭和45)年8月 | 登別町に市制施行。同時に幌別郡廃止。 | |
1970(昭和45)年11月 | 恵庭町に市制施行。同時に千歳郡廃止。 | |
1971(昭和46)年11月 | 亀田町に市制施行。 | |
1972(昭和47)年4月 | 伊達町に市制施行。 | |
札幌市を政令指定都市に指定。 | ||
1973(昭和48)年12月 | 亀田市を函館市に合併。 | |
1975(昭和50)年3月 | 市町村の合併の特例に関する法律施行(この当時の市町村数 市32、町154、村26)。 | |
1985(昭和60)年4月 | 市町村の合併の特例に関する法律施行(この当時の市町村数 市32、町156、村24)。 | |
1995(平成7)年4月 | 市町村の合併の特例に関する法律施行(この当時の市町村数 市町村数 市32、町156、村24)。 | |
1996(平成8)年9月 | 広島町、石狩町に市制施行。同時に札幌郡廃止。 | |
2000(平成12)年4月 | 旭川市を中核市に指定。 | |
2000(平成12)年11月 | 函館市を特例市に指定。 | |
2004(平成16)年12月 | 戸井町、恵山町、椴法華村及び南茅部町を函館市に合併。 | |
2005(平成17)年4月 | 市町村の合併の特例等に関する法律施行(この当時の市町村数 市34、町150、村23)。 | |
2005(平成17)年10月 | 市村合併により厚田郡及び浜益郡廃止。同時に町村合併により二海郡設置。 | |
函館市を中核市に指定。 | ||
2006(平成18)年2月 | 上磯町及び大野町は合併により市制施行。 | |
2006(平成18)年3月 | 町村合併により日高郡設置。同時に静内郡及び三石郡廃止。 | |
2010(平成22)年4月 | 北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例が施行され、総合出先機関の名称変更。幌加内町及び幌延町に関する事務を所管する総合出先機関の変更。 |
出典 「北海道市町村自治制の沿革概要」(2022/08/17閲覧)
北海道島をめぐる日本・ロシアのおもな動き(1783~1875)
(最終更新 2022/09/08)
19世紀を迎えるころから、この地域の権益をめぐって、とりわけロシア帝国と日本(江戸幕府〜維新政府)との間で緊張が高まり、ニアミスが相次ぐようになります。主な動きをまとめた年表です。
1783 | 工藤平助著「加模西葛杜加国(かむしかとかこく)風説考」(「赤蝦夷(あかえぞ)風説考」)発表。 |
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1785 | 幕府が蝦夷地(えぞち)調査隊を派遣(第一次蝦夷地検分) |
1789 | クナシリ・メナシの戦い |
1792 | ロシア皇帝使節アダム・ラクスマンがネモロ(根室)に来航 |
1798 | 幕府が蝦夷地調査隊を派遣(第二次蝦夷地検分) |
1799 | 第一次幕領期(〜1821)。「異国境御取締(いこくざかいおとりしまり)」が名目。アイヌ教化・アイヌへの勧農政策 |
1803 | 幕府が択捉(えとろふ)島アイヌらにウルップ島への渡海を禁止 |
1804 | ロシア皇帝使節ニコライ・レザノフが長崎に来航 |
1805 | 幕府がレザノフとの通好交渉を打ち切り。幕府がラショワ島アイヌらに択捉島への渡海を禁止 |
1806 | 文化露寇(ろこう)事件。翌1807年にかけて、樺太(からふと)島・択捉島・利尻島でロシア艦艇が発砲した。幕府は「魯船打払令」で対抗 |
1807 | 幕府が樺太を含む「西蝦夷地」を直轄化 |
1808 | 幕府が間宮林蔵ら探検隊を樺太島に派遣 |
1809 | 蝦夷地でのサンタン交易(アイヌと大陸在住サンタン人の交易)に幕府が介入し、直営化を図る |
1811 | ゴロヴニン事件。国後(くなしり)島に上陸したロシア海軍少佐・軍艦ディアナ号艦長のヴァシリー・ミハイロヴィチ・ゴロヴニンらを幕府の蝦夷地沿岸警備隊が拘束、松前に連行して幽閉 |
1812 | ディアナ号副館長リコルドが、国後島沖で択捉島場所請負人・高田屋嘉兵衛らを拘束 |
1813 | リコルドが国後島で高田屋嘉兵衛らを解放。幕府が函館でゴロヴニンを解放 |
1821 | 幕府が旧松前領・蝦夷地一円を松前藩に返還。〈この復領の背景には、ゴロヴニン事件の解決以降ロシアの南下にともなう対外関係の緊張が一時的に緩和したこと、松前藩による熾烈な復領運動があった〉(『北海道史事典』p219) |
1840 | アヘン戦争(英国vs清朝) |
1842 | 英国と清朝が南京条約締結 |
1853 | ロシア東シベリア総督ニコライ・ムラヴィヨフ=アムールスキーが、樺太島占領を指令。島南部のクシュンコタンに「ムラヴィヨフ哨所」を設営。ロシア皇帝全権委員エフィム・プチャーチンが長崎に来航 |
1854 | 幕府が、堀利煕・村垣範正らからなる調査団を樺太島に派遣。その報告を踏まえて日露通好条約(日露和親条約、下田条約)締結 |
1855 | 第二次幕領期(〜1868) |
1858 | 清朝とロシアがアイグン条約締結 |
1859 | 幕府が函館を開港 |
1860 | 清朝とロシアが清露北京条約締結 |
1868 | 日本で王政復古/明治維新 |
1869 | 日本の新政府が開拓使設置。蝦夷地を「北海道」、北蝦夷地を「樺太州」と改称 |
1875 | 日本政府がロシアとの間で樺太・千島交換条約に調印 |
参照文献
加藤博文ほか編『いま学ぶアイヌ民族の歴史』(山川出版社、2018年)
榎森進『アイヌ民族の歴史』(草風館、2008年)
北海道史研究協議会編『北海道史事典』(北海道出版企画センター、2016年)