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更新日 2023/11/28

アイヌ語の表記について

平田剛士 フリーランス記者

世界の言語の多くがそうであるように、アイヌ語は独自の文字を持たない言葉です。そこで現代では、テキストで表現する場合はもっぱら、似た発音のローマ文字やカタカナ文字で表記され、読み伝えられています。たとえば知里幸恵編『アイヌ神謡集』はローマ文字とカタカナ文字で表記され、葛野辰次郎著『キムスポ』はカタカナ文字で表記されています。この「森・川・海のアイヌ先住権研究プロジェクト」のウェブサイトでは、原則として、アイヌ語の単語をカタカナ文字を使って表記しています。

ただ、アイヌ語には、アイウエオ50音のカタカナ文字では表記しづらい発音があるので、それを表すために、アイヌ語研究の分野では従来から、ちょっと特殊な文字が使われてきました。ローマ文字で表記したとき、言葉のお尻に来る-p、-t、-k、-s、-m、つまり子音ですが、それをそれぞれㇷ゚、ッ、ㇰ、ㇱ、ㇺという文字で表す、というやり方です。また、-r は、直前の母音に応じてㇻ、ㇼ、ㇽ、ㇾ、ㇿで書き分けます。さらに-pp-、kk-、-ss-のように同じ子音が連続する場合には、「ッ」という文字で表記する、というルールがつくられています1。このウェブサイトでも原則として、この方法を踏襲しています。

アイヌ語単語のローマ文字表記、カタカナ文字表記の例

意味 ローマ文字 カタカナ文字
アイヌ語 ainu itak アイヌ イタㇰ
サケ kamuycep カムイチェㇷ゚
シカ yuk ユㇰ
先祖供養 icarpa イチャㇽパ
女性 mat マッ
男性 okkayo オッカヨ
和人 sisam シサㇺ

ここで使われているのは、いわば小文字版のカタカナ(「小書きカタカナ」)ですが、ちゃんとJIS規格やUNICODEでコードが割り当てられています。パソコンでこれらの文字を入力するときは、OSそなえつけの文字パレットを使って選択します。頻繁に使う場合は、あらかじめ単語登録しておくと、簡単に使いこなせると思います。

  unicode     unicode
31F0   31FB
31F1   31FC
31F2   31FD
ㇷ゚ 31F7   31FE
31FA   31FF
      30C3

話し言葉を書き文字に変えると、言葉を目で追えるし、何度でも繰り返し読んだり伝えたりできるし……と便利な反面、もともとの言葉(音声)がもっていた大切な情報(たとえばイントネーション)は失われて、書かれた文字を声に出して読み上げた時に、本来とは似ても似つかないシロモノになってしまう危険をはらんでいます。たとえば「川」をあらわすアイヌ語は、上記のルールに従ってカタカナ文字で「ペッ」と表記されますが、日本語話者が声に出して読むとつい「ペツ」(pe-tsu)と発音してしまいがちです。さらにペツ→ベツ→別と転じて「登別(のぼりべつ)」「芦別(あしべつ)」「紋別(もんべつ)」といった漢字表記の地名が和人行政の主導で創作され、いわゆる同化政策の片棒を担いだ歴史を忘れてはなりません2

書き文字のこうした欠点を補うのに、近年では、文字化されたアイヌ語の単語/文章に、もともとの音声を添えるケースが増えつつあります。たとえば「国立アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブ」は、田村すず子著『アイヌ語沙流方言辞典』(1996年)、萱野茂著『萱野茂のアイヌ語辞典』(1996)、知里真志保著『分類アイヌ語辞典 植物編・動物編』(1953年)収録の単語や例文、また伝承者の川上まつ子氏、上田トシ氏、葛野辰次郎氏、織田ステノ氏の語りを、文字起こしのうえデジタル化し、検索可能な状態に整えて公開していますが、書き文字の単語や文章の肩についたスピーカーの絵文字をタップすると、著者・話者の話し声が再生される仕組みです。

「森・川・海のアイヌ先住権研究プロジェクト」が取り組んでいるアイヌへのインタビュー(日本語による)では、語られる「アイヌ語まじりの日本語」の録音を文字に書き起こす際、アイヌ語については、ご本人の発音を最大限に尊重しつつ、各種辞典類を参照しながら、原則として上記のルールにのっとってカタカナ文字に変換しています。また、できるだけご本人のナマの言葉をお聞きいただくべく、インタビュー記事の公開時には、文章に合わせて録音をお聞きいただけるようにする予定です。

さてもうひとつ、アイヌ語と日本語について語る時、だれもが常に意識しておくべきことを、最後に記しておきましょう。北海道立文学館(札幌市中央区)の館内に掲げられたパネルから、文章の一部を書き写します。

……アイヌの人々の間に日本語が普及したのは、近世以降の日本人との接触と、明治期以降急速に増えた日本人の移住、それに伴う同化政策の結果です。明治以降の日本語の普及は、なかば強制の結果でした。アイヌ民族にとって母語が失われゆく状況や固有の文化が衰退していく状況は、民族としてのアイデンティティの喪失を意味します。……

北海道立文学館の解説パネル「アイヌの人々の日本語による文学表現」から。

2023年11月23日


参照文献

1 中川裕『アイヌ語千歳方言辞典』p1-5、草風館、1995年

2 山田伸一「アイヌ語地名はどう書き換えられたか」『近代北海道とアイヌ民族 狩猟規制と土地問題』p371、北海道大学出版会、2011年