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更新日 2024/01/23

森・川・海のアイヌ先住権を見える化する

さっぽろ自由学校「遊」2023前期講座 先住民族の森川海に関する権利ヤウンモシリ(北海道)の森林とアイヌ民族・第5回「森・川・海のアイヌ先住権を可視化する」(2023年9月4日)スピーチ予稿

平田剛士 フリーランス記者

みなさん、こんばんは。北海道滝川市に住んでいます和人で、フリーライターの平田剛士と申します。今夜はさっぽろ自由学校「遊」のハイブリッド講座、「先住民族の森川海に関する権利 」にご参加いただき、まことにありがとうございます。このような機会を設けてくださったさっぽろ自由学校「遊」のみなさんに、深く感謝を申し上げます。せいいっぱい努めますので、どうぞ最後までお楽しみいただければ幸いです。

まず最初に、ここにお集まりのみなさまと一緒に、このことを確かめ合いたいと思います。

ここヤウンモシㇼ=北海道島を含むアイヌモシㇼの大地、森と川と海、そして光と風と水は、伝統的にアイヌ民族のものです。昔も今も、これからも、それは変わりません。ここに集まったわたしたちは、文化と歴史をつなぎ続けるすべてのアイヌのみなさんに、心から敬意を表し、感謝を捧げます。

ありがとうございます。

さて、さっぽろ自由学校「遊」のこちらの講座は、「先住民族の森川海に関する権利―ヤウンモシリの森林とアイヌ民族 」というタイトルですけれども、いったいどういう内容かと改めて申し上げますと、「遊」のホームページにこんなふうな紹介文が出ています。

さっぽろ自由学校「遊」では、2022年5月より「森・川・海のアイヌ先住権研究プロジェクト」に参画しています。その成果物のひとつとして、今春には「森林ブックレット」(仮題)を発行する予定です。今回のシリーズでは、特に北海道の森林に焦点をあてながら、プロジェクトで行なっている聞き取りの一部を公開で行ないます。

たぶん今年2月ごろ、「遊」事務局の小泉さんがお書きになった企画書の文章ですが、半年経ったいま、こうして読み返してみると、私もこのプロジェクトの運営メンバーの一人として、思わず「やっべ~」と声に出てしまいますね。

まあ、予定はあくまで予定、ということで、ちょっと目をつむっていただくとして、去年の春、2022年5月にスタートしました「森・川・海のアイヌ先住権研究プロジェクト」という私たちの活動の、進行中の中身を、ぜひみなさまにもごらんいただこう、あわよくば一緒にこの活動に参加していただこう、という主旨で、春からのこの連続講座がプログラムされたと思います。5月から毎月第1月曜日の夜の2時間がこの講座の枠で、今夜を含め、全5回の講座のタイトルはこんなふうでした。

  • 5月1日 アイヌ施策推進法2019 と「北海道開拓」の中での森林(上村英明さん)
  • 6月5日 悟アチャポの森の話・暮らしの話(作田悟さん/八重樫志仁さん)
  • 7月3日 対談ライブ・三石川の自然と先住権(幌村司さん/平田剛士)
  • 8月7日 自然界とアイヌの生活(アシリレラさん/川上恵さん・八重樫志仁さん)
  • 9月4日 森・川・海のアイヌ先住権を見える化する(平田剛士)

第1シーズンの最終回にあたる今夜の講座のタイトルは、「森・川・海のアイヌ先住権を見える化する」です。これは、実は、この研究プロジェクトが掲げている目標そのものです。

このプロジェクトは、先住民族アイヌの森・川・海での生業(なりわい)――これは言葉を換えると、この島の豊かな自然資源によって、おそらく1万年以上にわたって支えられてきた、先住民族アイヌの権利の姿そのもの、と言えると思いますが――、それをリストアップして「見える化」しよう、そういうもくろみでスタートしました。

きょう初めて聴いた、という方もおられると思いますので、ここにいたる経緯をもう少し、ご説明させてください。こちら、簡単な年表をつくりました。

2019年4月 アイヌ施策推進法施行
2019年9月 紋別アイヌ協会「藻鼈川事件」
2020年4月 カムイチェㇷ゚・プロジェクト研究会(「遊」)
2020年7月 ウポポイ開業
2020年8月 ラポロアイヌネイション「サケ捕獲権確認請求」
2021年10月 森林の権利とアイヌ民族研究会(「遊」)
2022年7月 森川海プロジェクト・キックオフ集会(札幌)
2023年5月 ラポロ国際シンポジウム

アイヌが先住民族だ、というのは、ここにお越しのみなさまにはもう当たり前のことだと思います。しかしながら、わが日本国が法律にアイヌを「先住民族」と明記したのは、つい最近のことでした。2019年4月に施行されたアイヌ施策推進法、正式名称は「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」といいますけれど、その第1条に書き込まれたのが、初めてだったのです。

アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律

第一条 この法律は、日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族であるアイヌの人々の誇りの源泉であるアイヌの伝統及びアイヌ文化(以下「アイヌの伝統等」という。)が置かれている状況並びに近年における先住民族をめぐる国際情勢に鑑み、アイヌ施策の推進に関し、基本理念、国等の責務、政府による基本方針の策定、民族共生象徴空間構成施設の管理に関する措置、市町村(特別区を含む。以下同じ。)によるアイヌ施策推進地域計画の作成及びその内閣総理大臣による認定、当該認定を受けたアイヌ施策推進地域計画に基づく事業に対する特別の措置、アイヌ政策推進本部の設置等について定めることにより、アイヌの人々が民族としての誇りを持って生活することができ、及びその誇りが尊重される社会の実現を図り、もって全ての国民が相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを目的とする。

日本の国会が「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」をして、政府がそれに従うと談話を発表したのが2008年6月6日ですから、それを法律に反映させるのに11年もかかったわけですが、とにかく日本国が、かつて蝦夷地と呼んでいたこの島を、1869年に内国化宣言して、「北海道」という新しい名前をつけて以来、この150年あまりの間で初めて、「アイヌは先住民族」と位置づけた法律をつくりました。

ところが、これまた多くのみなさまがご指摘のように、この法律には先住民族の権利保障や、これまでの仕打ちに対する謝罪、あるいは損害賠償に関する項目はありません。

こちらは、2007年9月の国連総会で、日本を含む多くの国々の賛同によって採択された「先住民族の権利に関する宣言」の前文の6段落目を抜き書きにしたものです。読んでみますね。

先住民族の権利に関する宣言……先住民族は、とりわけ、自らの植民地化とその土地、領域および資源の奪取の結果、歴史的な不正義によって苦しみ、したがって特に、自身のニーズ(必要性)と利益に従った発展に対する自らの権利を彼/女らが行使することを妨げられてきたことを懸念し、……

つまり、国際社会では、先住民族=indigenous peoplesという用語には、〈とりわけ、自らの植民地化とその土地、領域および資源の奪取の結果、歴史的な不正義によって苦しみ、したがって特に、自身のニーズ(必要性)と利益に従った発展に対する自らの権利を彼/女らが行使することを妨げられてきた〉という含意があるということです。UNDRIPは「歴史的な不正義」と表現していますが、アイヌもまさにそうした不正義を被ってきた先住民族です。ところがわが日本国の2019年の法律では、そんな歴史的不正義はまるで「なかったこと」みたいになっていて、われわれの日本国家が長らく黙殺し続けてきた先住民族アイヌの権利をこれから回復しよう、そういうふうには書かれていません。

そのことを非常に鋭利なやり方で暴露して見せたお一人が、紋別アイヌ協会の畠山敏さんでした。アイヌ施策推進法が施行された年の秋、先住民族としての権利を主張して、北海道内水面漁業調整規則をあえて拒絶して、地元の藻鼈川でサケを捕獲したところ、北海道庁が警察に告発し、強制的な家宅捜索や、こちらは任意でしたけれども連日の事情聴取が行なわれ、書類送検までいきました。

この「藻鼈川事件」の現場には、地元の畠山さんのほかにも、平取の木村二三夫さん、貝澤耕一さんといったアイヌのリーダーの方たちも駆けつけてきておられました。ユニフォーム姿のオホーツク振興局の職員たちに、木村さんや貝澤さんや畠山さんが、「このアイヌモシㇼに後から入り込んできた和人のおまえたちが作った法律に、なんで先住民族のおれたちが従わなければならないのだ?」と厳しい口調で語られている場面は、ニュースでも流れたので、見聞きされた方は多いと思います。私も現場にいた一人です。畠山さんやアイヌエカシのみなさんの言葉を、私は、とても人ごととは思えませんでした。私は和人で、セトラー、つまり入植集団の一員で、すでに人生の大半、40年をこちらで暮らし、子どもたちは生まれも育ちも北海道です。アイヌから激しい抗議を受けているのは、ほかならない自分だ、と感じました。「和人のおまえたちが作った法律に、なんで先住民族のおれたちが従わなければならないのだ?」という問いかけに、自分も答えなければならない、と思いました。

この日、やっぱり一緒に藻鼈川の現場にいた小泉さんたちともいろいろアイディアを出し合って、半年後に始めたのが、さっぽろ自由学校「遊」での「カムイチェㇷ゚・プロジェクト研究会」という小さな集まりでした。カムイチェㇷ゚は、サケを指すアイヌ語で、日本語にすると「カムイから与えられた魚」という意味です。紋別アイヌ協会や、ラポロアイヌネイションの人たちが特別な思いを持って権利回復を目指しておられるサケ=カムイチェㇷ゚について、かつてアイヌがどんなふうに利用管理していたか、和人による植民地化後にそれがどう変えられたか、法律の変遷、人工増殖事業の仕組み、野生動物としてのサケの現状、サケを育む河川環境の変貌ぶりや現状、また海外ではどんなふうか、そんなことを勉強する集まりを毎月一回ずつ、2年ほど続けました。

同じ「遊」ではまた、市民外交センターの上村英明さん、ウラカウンクルの八重樫志仁さん、京都大学の小林舞さんたちが「森林の権利とアイヌ民族研究会」を主宰されて、こちらはアイヌモシㇼ=北海道の森林に焦点を絞って、やはり近代の歴史、法律、海外事例との比較などについて勉強を進めておられました。

奇しくもコロナ禍に見舞われて、どちらの研究会もオンラインでの会合を強いられたのですが、結果的には、広く国内外からいろんなジャンルの専門家や市民活動家のみなさんが関わってくださって、アマチュアの私なども一緒に、この問題に関する課題を共有しながら、議論を深めることができたと思います。この間、ラポロアイヌネイションが地元・十勝川でサケの権利をめぐる裁判を起こす、といった動きも起きています。

カムイチェㇷ゚・プロジェクト研究会の大きな成果のひとつは、逆説的ですけど、「こうしていろいろ勉強してみたものの、じゃあ具体的にサケに関するアイヌの先住権ってどういうものなのか、いまひとつイメージがつかめないね」ということに、みんなが気付いたことです。一口に「川でサケを捕る権利」というけれど、この島には非常にたくさんのサケの川が流れています。そして、それぞれの川ごとに――十勝川や石狩川のような大河川ではさらに細かく上流・中流・下流といった地域ごとに、それぞれ異なる個性があって、景色も歴史も人のかかわり方もまったく違います。だとすると、これから先住民族に保障すべき権利の形も、それぞれ異なるはずで、まず地元ごとにそれを共有しなければ、議論すら始められないでしょう、というわけです。

また、いまラポロアイヌネイションが裁判を起こして、国や北海道に対して、「われわれラポロアイヌネイションには地元の浦幌十勝川でサケを捕獲する権利があることを、確認してくれ」と求めていますが、仮に裁判所が、ラポロ側の主張を認めて、「国際法上・憲法上・そして慣習法上、各地のアイヌ集団にはその権利が認められる」と判決を下したとしても、つまり法的にそれを認めたとしても、それですぐに先住権が回復するとは限りません。というのは、たとえば石狩川上流部に位置する旭川では、百数十年前までは毎年9万尾ものサケがアイヌによって安定的に漁獲されていたのに、その遡上群は昭和時代にいったん絶滅して、平成時代の再導入がようやく実を結びかけてはいるけど、現在のサケ遡上数は毎年わずか数百尾程度です。これじゃあ、いくら地元アイヌのサケの権利が回復したとしても、ちょっと獲ったら個体群はまた絶滅しちゃいます。川水の汚染とか河川改修とかダム建設とか人工増殖とか、この間の環境の激変もまた、先住民族の権利を阻害している、そういうことに改めて気付くことができました。

森林研究会の方でも、たとえば森林は国有林と私有林に分けられるわけですけれども、各地で具体的にいったいいつ、どんなふうに区分が決まったのか、私有林のうち、住友林業とか王子製紙とか三井物産とか、いったいどんなふうにそうした大企業の所有地になっていったのか。大学演習林も広大な面積が割り当てられているし、かつては御料林=天皇家の森という区分もありました。そうしたことを断片的には知っていても、それらが具体的に地元のアイヌの権利をどんなふうに阻害しているのか、はっきり理解できていないことがたくさんあって、それをもっと知りたい、知らないままだと現場で先住権の議論ができない、そういう気づきがあったと思います。

そうした気づきを経て、今度は、「地域ごとに先住権を見える化しなくちゃ」という企画のアイディアが湧いてきました。ラッキーなことに、東京の地球・人間環境フォーラムという国際NGOを通して、アメリカ・カリフォルニア州に本部があるデイビッド&ルーシー・パッカード財団という団体が、このプロジェクトのアイディアに興味を持って資金援助をしてくれることになり、こちらNPO法人さっぽろ自由学校「遊」と、東京のNGO市民外交センターが受け皿となって、しっかり組織体をつくってプロジェクトに取り組むことになりました。こちらは、その運営にあたっているチームの面々のお名前です。代表の上村さん、副代表の八重樫さんを先頭に、この12人がエンジン役になって、各地の何十人かのみなさんとネットワークを作って活動しているところです。


じゃあ、この新しいプロジェクトはいま、具体的に何をやっているのでしょうか。まず、パッカード財団からの助成期間は、去年2022年の春から再来年2025年の春までの3年間です。短くはないけれどそう長くもありませんので、この3年間では、ヤウンモシㇼ/北海道の島のうち、原則として、日高地方・十勝地方・オホーツク沿岸地方にターゲットを絞ることにしました。なぜこの3つの地域なのか、あまり説得的じゃないかも知れませんが、この森川海プロジェクトの前段、先ほども触れましたカムイチェㇷ゚プロジェクト研究会のひとまずの成果として、「カムイチェㇷ゚読本」をつくった時、ヤウンモシㇼ/北海道を代表するサケの川として、日高地方の沙流川と、十勝地方の十勝川、オホーツク沿岸地方の藻別川を選んで、ちょっと詳しく解説記事を載せたのです。沙流川は「二風谷ダム裁判」の舞台、藻別川は紋別アイヌ協会「藻別川事件」の舞台、そして十勝川はラポロアイヌネイションによる「サケの先住権裁判」の舞台です。こちら「もりかわうみプロジェクト」でも、とりあえず、いわば下調べが済んでいるこの3つのエリアから取りかかろう、というふうになりました。

そのうえで、この新しいプロジェクトでは、こちらの3つのステップを踏むことにしました。

ステップ1 日本の現在の政策が認めていない、アイヌの土地・領域・自然資源に対する諸権利を、地域ごとにリスト化する。また、過去150年ほどの間の北海道の自然資源の潜在的価値の変化を測定する。

ステップ2 各地のアイヌが、それぞれのiwor(イウォロ)内外のkamuyとどんなふうに向き合い、資源をどんなふうに利用管理してきたか、また森/川/海でどんな物語をつむいできたか、どんな祭礼を営んできたか、そのほかさまざまなエピソードを掘り起こす。

ステップ3 そうやって得た情報を分かりやすい形で可視化する。

これをやるために、主に2通りのアプローチで作業を進めています。

ひとつは、年配のアイヌのみなさんから、ご自身やご先祖たちの森川海での生業についてうかがう「聞き取り調査」です。この「遊」の今季の連続講座で、5回のうち真ん中の3回は、苫小牧の作田さん、三石の幌村さん、平取のアシリレラさんをこの会場にお招きして、受講のみなさまと一緒に、いろいろなお話をうかがいましたが、じつはこの「聞き取り調査」の一環、という位置づけでした。

もうひとつは、これまで刊行されてきた書籍から、やはり同じようにアイヌ民族による森川海の自然資源の利用について書かれた部分を探して再整理する「文献調査」です。

わたくしは、このうち文献調査のほうを担当して、プロジェクトに参加くださっている方と「文献調査チーム」をつくり、作業にあたっているところです。チームメンバーを募集中なので、きょう、私のこの話を聞いてくださって、もしご自分でも「やってみたい」と思われた方は、ぜひご一緒ください。

私は自称フリーライターなのですが、記者生活ン十年で身につけましたスキルをつぎこみまして、もりかわうみプロジェクトのウェブサイトを作って、すでに公開中です。いろいろ情報を集めて調査するのに便利なように工夫していまして、ちょっとご覧いただけるでしょうか。……

「資料をさがす」のボタンをクリックいただくと、こちらのページが開きます。いま、各省庁や都道府県には必ずデジタル・トランスフォーメーションの部署があって、公文書が猛烈な勢いでデジタル化され、ネットに公開されています。大学・博物館・図書館なども同様で、これまで現地に行かなければ閲覧できなかったいわばお宝――稀覯本のたぐいですが、それがいわゆるパブリックドメイン=公有財産として、今ではネット環境さえあれば、どこでも閲覧可能です。そのような資料をさがすのに便利なように、プロジェクト開始にあたって、つくり始めたのがこの「資料をさがす」のページです。

とはいえもちろん、著作権保護期間中などの理由でネットでは見られないものもたくさんあります。こちら「調査中の図書リスト」をクリックください。ネットでは原典が見つからず、新たに購入したり、図書館でコピーしてきたりした文献のリストです。一年あまりで40点ほどになりました。ちなみに、私のような地方在住者には、古い本を探したり買ったりするのは、アマゾンより「日本の古本屋」という通販サイトが重宝です。とりあえず手元に集めただけで本格的な調査着手はまだこれから、というのも多いので、みなさん、ぜひ名乗りを上げていただければうれしいです。

スライドに戻って……

「二風谷アイヌ語教室」広報紙文献調査チームで取りかかった最初のひとつがこちら、文献No.18「二風谷アイヌ語教室」広報紙創刊号~第89号(電子版)」です。この広報紙の編集者で、萱野茂二風谷アイヌ資料館館長の萱野志朗さん、もりかわうみプロジェクトの一員でもいらっしゃいますが、萱野さんが「ぜひプロジェクトで活用してほしい」と、この貴重な資料を提供くださいました。

この会報誌は、各号に、主に年配の方の自伝的なインタビューが掲載されていて、パラパラめくっただけでも、貴重な体験談が詰まっているのが分かります。萱野志朗さんによる20年がかりのお仕事です。もちろん、文献調査というからには、きちんと全部目を通して必要な箇所を抜き書きにして、整理し直して、といった作業が必要ですが、なにしろ21年間分、全部で89号、A4判で977ページの大物ですから、5人のチームで手分けして作業することにしました。森・川・海の生業に関係しそうな記述を片っ端からチェックして抜き書きにして、スプレッドシートに整理しました。いわゆる5W1H、だれが・いつ・どこで・どんな理由で・なにを・どんなふうにしていたのか、の項目を埋め、登場する動植物の名前をラベルにして、自由に並べ替えたりできるようにしました。こうした情報の整理の技術については、こちら「遊」の共同代表で、北海道大学文学部教授の宮内泰介さんや、GIS研究者の方たちアドバイスをいただきました。

こうやって整理し直してみると、こんなふうなことが分かりました。たとえば、インタビューに登場する植物の種名を書き出してみると、合わせて44種に及ぶことが分かりました。多い順に並び替えてみると、キビが7回、ギョウジャニンニクが6回、オヒョウの木が5回……というふうに登場回数が分かります。森の動物の名前をみると、ヒグマの登場回数が10回と、圧倒的に多く語られていました。トラは二風谷には住んでいませんが、おひとりのエカシの思い出話に登場していました。魚類ではサケが16回も登場します。こうした数字は、当時の地元のみなさんの関心度の高さ、これらの動植物の重要さを表している、と言えるかも知れません。

今後はこれを「見える化」してみたいと思っています。こちら、未完成、非公開状態の「デザインカンプ」ですけれども、二風谷アイヌ語教室広報紙の記事を、たとえば「ヒグマ=キムンカムイ」という検索キーワードで抽出して、語られている言葉を地図付きで並べ直してみました。

ひとつ読んでみます。

K.S.さんの証言
1936年ごろの記憶、大古津内
〈5歳くらいの頃の記憶ですが、この地に■■■オッテナ(その当時60歳くらいのおじいさん)という村長がおり、その人の「ポロチセ」(大きい家)は大宴会の出来るほど大きな家でありました。この家は本葺きの大きな素晴らしい家で、ある時「イヨマンテ」(熊送り)が行われ母に連れられて行きました。大変な人出で子供など何処にいるか分からないくらいでした。それでも母は私に熊の肉が一切入った三平皿を手渡してくれ、食べた覚えがあります。〉(第5号)

原本には実名が書かれていますが、われわれが「見える化」してしまって、間違ってもご本人やご遺族にご迷惑がかかったりしないように、萱野さんとも相談して、ここではお名前はイニシアルや伏せ字で処理しています。もうひとつ読んでみましょうか。

A.Y.さんの証言
1936年の記憶、ペナコリ沢
昭和10年の6月、父がペナコリ沢でクマを捕ったことがあります。私は妊娠8か月の大きなおなかで昼寝をしていました。ちょうどその時、父が走って戻って来たかと思うと、道具箱から鉄砲を出しケースに弾を入れてから「ペナコリの沢さ入ったらクマがいま通った跡があった。だから鉄砲を取りに来たんだ」といってまた走って出かけました。それから1時間くらいして父が戻り、私の旦那に向かって「クポホ(私の子供)、俺クマ殺したからコタンの人、誰かいたらクマ殺したといってこい」と言いました。うちの旦那は、急いで(■■)金次郎アチャポや■■(忠雄)おじさんなどに知らせました。知らせを受けた村人はクマが捕れたことを喜び、みんなペナコリ沢へ向かって走って行きました。おっかない(恐しい)ものでも何でも見たいと思って、大きなおなかを抱えて沢を遡りました。沢が二股になった(上流に向かつて)石の沢の現場へ着くと「そったら格好して何しに来た」と父に叱られました。クマは前足と後足が縛られており、縛ってある足と腹の間に長いボッコ(棒)を渡し、みんなで棒の前と後を担ぎながら沢をおりてきました。そのクマはうちまで連ばれ、家の東側にすえられているヌサ(祭壇)の後に置かれました。父はその時「樺太や千島などにも行って、今までに俺はクマを百頭は捕ったぞ」と言っていました。そのクマを解体した時など腹の中にたまった生血を荷負の警察官やほかのシサム(和人)も飲んでいたのを見ました。イヨマンテ(クマ送り)に使うどぷろくをシントコ(行器)に仕込んだり、イユタ(穀物を掲く)して粉をつくりそれで団子を作ったりしました。仕込んだどぶろくは2日か3日おいて使います。イユタを始めてからクマ神の霊を神の国へ送るまでに5日くらいかかったと思います。この「クマ送り」のあと、ペナコリでクマ送りをやったのを見たことはありません。(1995年発行・第36号)

「へえ、80年前にはこうだったんだ」というイメージが、みなさんの頭の中にも湧いてきたのではないでしょうか。このような生業、ふだんのいとなみを、もしいま、法律や、あるいはマジョリティ社会の価値観の押しつけなどに左右されて、アイヌたちがやれなくなったり、やりづらくなっていたりするとしたら、それこそがこの地域の先住権の姿です。

こちらは、カムイチェㇷ゚=サケをキーワードにしたページです。

1943年ごろの記憶、貫気別村宿主別
それから小学校 5 年生くらいの時、私のエカシ(祖父)でエトンピアというのが平取村の宿主別の牧場で管理人をしていました。今度は母方のフチ(祖母)と貫気別から宿主別まで歩いていくんだよねえ。そのエカシはアキアジ(シャケ)を捕ってくれた。朝早くアキアジを捕りに行っていたねえ。(第42号、聞き手=萱野志朗氏)

このストーリーの舞台である貫気別村宿主別の額平川では現在、国交省の平取ダムが完成間近で、国土地理院の地形図でもこんなふうにダム湖が描かれています。80年の間のこの変化を知るだけでも、地元アイヌの先住権の喪失ぶりが「可視化」「見える化」されるんじゃないかな、と思います。


北海道殖民状況報文調査を進めている文献には、ほかにもたとえば「北海道殖民状況報文」があります。こちらは、もっと前の時代で、いまから120年前、西暦1900年ごろに、北海道庁がまとめた、いわば現地調査報告書です。近代史の研究者さんたちも基礎資料として盛んに活用されていますが、当時のお役所の書きコトバは、現代の私たちには非常にとっつきにくいしろものです。私もまったくの初学者で、正直なところ、非常に苦労しているのですが、それをなんとか読みやすい現代語に翻訳して、尺貫法の単位もSI単位に直すなどして、デジタル地図付きでレイアウトし直しました。現代では人種差別と判断されるに違いない表現もたくさん出てきますが、そのむねの注釈を入れて、あえてそのまま残しているところもあります。全部で6巻あるうち、「日高国」編の翻訳作業を終えたところで、すでにウェブサイトでご覧いただけるようにしています。ちょっとご覧いだきましょうか。

「先住権の地図」というボタンをタップして……

もくじのページに、日高国を構成する7つの郡、プラス広大な新冠御料牧場の地図を載せています。読みたいところをタップすると、そのページにジャンプします。たとえば浦河郡をタップすると……。120年前の浦河郡は、11の村に分割されたんですね。現在は全部合併して浦河町となっていますが、これらの村の地名は今も残っています。村名のボタンをタップすると、該当部分の飜訳を読める、という仕掛けです。

ただしこれは、120年前の古い公文書をただ現代語に飜訳しただけです。先住権の切り口で、これをどう読み解くか、みなさまからもアイディアをちょうだいしたいと思うのですが、ひとつの例として、「強制移住」というキーワードを考えてみます。

この報告書がつくられたのは、北海道𦾔土人保護法制定(1899)の前夜にあたりますが、それ以前にも日本国政府は「困窮するアイヌを保護する・助ける」という名目で政策を実施しています。そのひとつが、1885(明治18)年発布の「札幌県旧土人救済方法」というものでした。「10年かけて札幌県内全2590世帯のアイヌに農業を授ける」という計画で、日高国の村々にも、農業指導員を送り込んで、人々に新しい農機具を支給して畑を作らせる、ということをやりました。で、その結果がどうなったか、この殖民状況報文にも記載があるのです。たとえばこんなふうです。

沙流郡平賀村
古来、川の東岸にアイヌの集落があった。……1886(明治19)年、アイヌ「授産」事業に合わせて、東岸集落のアイヌを西岸に集団移住させた。(p81)

新冠郡大狩部村
この村は新冠御料牧場のエリア内にある。1889(明治22)年、ポロセプにあったアイヌの集落数戸を高江村のポンセプに移住させたため、現在は村に本籍を置く人は一人も住んでいない。(p108)

新冠郡比宇村
以前はアイヌの集落があった。しかしアイヌ「救済」を目的に実施した農業指導事業に合わせ、元神部村と葉朽村に全戸を移住させた。現在はピウカ川のそばに御料牧場の看守家屋があるだけで、ほかにはだれも住んでいない。(p110)

さすが政府の報告文書とあって、さらっと書いてありますが、当時のこれらの政策は、現代の歴史家のみなさん、たとえば先月、こちら「遊」の講座でも講演なさった小川正人さんをはじめ、現在の歴史学でははっきり、日本政府が先住民族アイヌに対して行なった強制移住政策である、とみなされています。

こうしたいろんな政策のほかにも、120年前と現在とを比べて、それぞれの地方の自然環境、人口、交通事情、漁業生産、農業生産、まちの様子などを現在と見比べて、どれだけ変わってきたか、一目で分かるようにする、というのが、文献調査のひとつの狙いです。いわゆる開拓時代以降、アイヌたちが、それ以前は自分たちの裁量で自由にできていたのに、それ以降は禁止されてできなくなってしまったことを地域ごとにリストアップしていったら、それこそがその地域におけるアイヌの先住権、というわけです。


ただ、ひとつ留意点があって、それは、歴史史料から、自分の主張に都合の良いところだけを抜き出して、さも歴史的事実のようにふりかざしてはならない、という戒めを忘れないというコトです。ちょっとまえに読んだ岩波ブックレットにこんなくだりがあったので、引いてきました。読んでみますね。

歴史を記述するさいの注意点
〈事実〉 事実性を確認する
〈解釈〉 歴史研究の蓄積を軽んじない
〈意見〉 「事実」「解釈」をふまえて自分の意見を述べる
参考文献
小野寺拓也・田野大輔『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』p5-9、岩波ブックレットNo.1080、2023

いわゆるネオナチの人たちが、歴史史料をつまみ食いして、ナチスの政策には見習う点も多かったんだ、みたいなことを並べて、全体像を歪曲するような主張がSNSなどに流れていることに対抗して、ファクトチェックを行なった本です。われわれもまた、慎重な姿勢で歴史に取り組む必要があると思います。


さて、「見える化」すべき文献は、古いものだけに限りません。もういちどウェブサイトに移動して……「先住権の地図」というボタンをタップしてもらって……

こちらは、2019年に施行された現在のアイヌ施策推進法にもとづく、「林産物利用特別措置」と呼ばれる制度の適用エリアを図示した地図です。たとえば、新ひだか町と林野庁・日高南部森林管理署が結んだ契約エリアは……こんな感じ……。このボタンをタップすると、契約書のコピーをご覧いただけます。これをみますと、アイヌが採取できるのはヤナギの枝を静内地区で年間300本、三石地区で100本。そんなことが書いてあります。これを見るだけでも、先住権のことを念頭においていたら、みなさん、いろいろ疑問が浮かぶのではないでしょうか。この連続講座の第3回で、三石アイヌ協会会長の幌村司さんにこの図をお見せした時、「契約書にあるエリアはアクセスが悪くて行く気にもならない。イナウケには近くの廃校になった小学校の校庭に生えているヤナギを使っている」とおっしゃっていました。


さて、私たち、こうして森川海のアイヌ先住権「見える化」プロジェクトを進めている最中なのですが、ただ、「ステップ1~3」でアイヌ先住権を可視化するのは、いってみれば準備段階に過ぎません。可視化したものをどう使うかが、いちばん重要だと思います。

今日のこの講座も含め、私のようなフリーライターが、「森の権利をアイヌにお返ししよう」「サケの権利をアイヌに返そう」といくら言ったり書いたりしたって、利害関係のない人だったら「まあ、そうだよね」と同意してくれるかも知れませんけれど、実際にサケを捕っている地元の漁師さんはじめ、いちばん肝心な利害関係者の心には、なかなか届かないかもしれません。

きょう、一番最初に、こちらを読み上げました。

ここヤウンモシㇼ=北海道島を含むアイヌモシㇼの大地、森と川と海、そして光と風と水は、伝統的にアイヌ民族のものです。昔も今も、これからも、それは変わりません。ここに集まったわたしたちは、文化と歴史をつなぎ続けるすべてのアイヌのみなさんに、心から敬意を表し、感謝を捧げます。

実はこれは受け売りでして、英語でランド・アクノリッジメント、土地に関する確認、といった意味あいの、いわば儀式です。今年のはじめ、アラスカで働いているアメリカ人のサケの研究者のプレゼンテーションを聴く機会があって、地元の先住民族を念頭にこれを読み上げているのを聞いて、カッコいいナ、と思って、私もこのところ、スピーチの機会があるたびにマネしています。オーストラリアの市民社会では、何かちょっとした会合などで、冒頭にアボリジナルやトレス諸島民を念頭にこのランド・アクノリッジメントを唱えるのが習慣化しているそうです。最近は札幌の北海道大学の総長が卒業式や入学式の式辞で「北海道大学は、先住民族アイヌの人々が長い歴史を重ねてきた豊かな土地にある」「この地は、北海道大学が設置される以前は、アイヌの方々が暮らす集落だった」と述べていますし、学内の教職員の間で、毎年の授業を始める時に、アイヌ民族への敬意を示すランド・アクノリッジメントを唱えよう、という呼びかけ運動も始まっているそうです。

ただ、私なんかが、「アイヌモシㇼの大地は、伝統的にアイヌ民族のものです」と唱えたら、実際に土地を買って北海道に住んでいる和人のみなさんの中には、不快に感じたり、怒りだしたりしてしまう人がいるかも知れません。またアイヌからも、「土地を返すアテもつもりもないくせに、無責任なことを言うな」と、やっぱりお叱りを受けるかもしれません。

でも、ここをつなげないと、先住権の問題を解決に導くことができないと思うのです。

つまり、こうやってだれの目にも分かりやすく「アイヌ先住権」を可視化、見える化した後、たとえばサケを捕っている現役の漁師さんたちも、北海道に土地を持っている地主さんたち、農家さんたちも山主さんたちも、そこで暮らしている一般の住民も、入植者であれ先住民であれ、できるだけ大勢の地元の方々にこれを一緒に見てもらって、当事者のアイヌと一緒に、「じゃあここはこうしよう」というのを、それぞれ相談して、解決方法をみつけていくしかない、と思うのです。

きょうはまだ完成品をお見せできませんが、デジタル地図についてもITを駆使しまして、GIS、地理情報システムというのを利用する計画です。スマホやパソコンでグーグルマップ、グーグルアースなどをお使いになったことがおありかと思います。あんなふうに読者が自分で動かせるデジタル地図をいま、酪農学園大学認定ベンチャーで、地理情報システムの開発・運用サポートをおこなっているインターリージョンという会社に委託する形で、このページに組み合わせようとしています。ストーリーとデジタル地図を組み合わせて、その名もStoryMapsと呼ばれる新しいメディアです。

おそらく何ヶ月か後、またこのようにみなさまにご報告する機会を作りたいと思っていまして、今度は、みなさんのスマホやパソコンでも自由に読んだり、自分自身で調べを進めたりできるような、何か画期的な工夫を凝らした新しいアイヌ先住権「見える化」メディアを、ご披露できたらと思います。どうぞお楽しみにお待ちください。

今夜は長時間にわたっておつきあいいただき、たいへんありがとうございました。